フライトシミュレーター愛好家のノート

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柴田三雄氏が撮影した中国海軍によるソ連大型原子力ミサイル巡洋艦の迎撃――上

北京の『現代艦船』誌はかつて2011年12月号で「日本のカメラマンが捉えた中国海軍の勇姿」という記事を掲載し、「当時日本で最も有名な航空写真家、柴田三雄の作品」——中国海軍133「重慶」艦がソ連海軍の重原子力ミサイル巡洋艦「フルンゼ」号に向かって突入する姿——を紹介した。

柴田三雄という人物については以前から知っており、手元に彼の著書も数冊ある。その中の1985年出版の『漂流前線』には、実は重慶艦とフルンゼ号を撮影した際の詳細な説明があった。非常に残念なことに、先週の日曜日、つまり2015年1月18日に、柴田三雄は病気のため逝去された。享年68歳であった。

彼が私たちにこれほど貴重な歴史的写真を残してくれたことに感謝し、彼がどのような人物であり、どのような条件下でこれらの写真を撮影したのかを知っていただくため、本の一部を翻訳することにした。結局のところ、現代艦船の記事からは、筆者もこれといった第一手資料を持っていないことが見て取れる:

「この写真の背景について、解説での説明はあまり詳しくなく、正確な日時や場所には触れておらず、単に『フルンゼ』号が極東へ派遣され、ウラジオストクの太平洋艦隊に合流する途中で、東シナ海を通過する際に中国海軍と遭遇したシーンであると述べられているに過ぎない。」
そして、自身の推測に基づいて、いくつかの誤った説明が加えられている。

まず、柴田三雄は個人カメラマンであり、東京に自身の私有写真事務所を構え、その作品は航空や航海を題材にしたものが多い。『漂流前線』のあとがきで、柴田三雄は世界各地へ飛び、各国の軍事力の動向を撮影するに至った動機を次のように記している。

ある年、パリ航空ショーを取材した後、賑やかなシャンゼリゼ通りを見ながら、柴田は突然、このファッションと芸術の国が、実は当時世界第3位の武器輸出国であることに気づいた。殺人兵器の取引によって支えられているこの文化の都という強烈な対比に、彼は困惑し、世界の国防や各国の軍事力を報道する道へ進むことになった。柴田はこう書いている。個人としての人間は皆、善良で親しみやすい存在だが、なぜ集団となり、国家という単位になると、人間は膨大な人と物資を費やして兵器を開発し、互いに殺し合うのかと。

彼は答えを見つけられなかったが、世界の軍事動向については、常にあらゆる手段を講じて情報を収集し、自ら現場に赴き、自分で撮影して読者に記録を提供した。1985年に撮影された「フルンゼ」号と中国海軍の遭遇の出来事は、彼の一連の報道活動の中でも非常に優れた作品である。

当時の現場には、各国(米、ソ、中、日、韓)の最も強力な軍事力が集結していたが、柴田の陣営はというと、彼は軽プロペラ機——セスナ172(ピストンエンジン1基、乗員4名)を1機チャーターし、ニコンのカメラ4台とフィルム60本を持ち合わせていただけだった。恐るべき数万トンの巨大な兵器の前では、個人の力は取るに足らないものに見えるが、現場を記録するという強い信念と十分な準備があったからこそ、柴田は私たちに極めて貴重な歴史資料を残すことができたのである。

「フルンゼ」号撮影記録 前編

1985年9月30日 第1回ブレインストーミング会議 東京原宿 柴田三雄事務所 9月27日に「フルンゼ」号が喜望峰を通過したという情報を入手した後

柴田 皆に連絡した通り、「フルンゼ」号がいよいよ来るぞ。 8月にソ連北方艦隊の北モルマンスク基地を出発し、2週前にアフリカ西海岸に到着、27日に喜望峰を通過してインド洋に入ったんだ。 今日の会議の目的は、今後の「フルンゼ」艦隊の動向を分析し、いつどこで撮影するかを決定することだ。 A氏 計画を立てるため、79年6月のミンスク級空母と84年2月のノヴォロシースク号空母の航路を参考にしてみよう。 ただ、ノヴォロシースク号の際は喜望峰通過後にアラビア海に留まっていたので、ミンスク級の航路の方が参考になるだろう。 B氏 (航路図を見ながら)ミンスク級は当時4月10日に喜望峰を通過し、その後70日かけてマラッカ海峡に到達した。 これで計算すると「フルンゼ」は12月上旬になるな。 A氏 だがミンスク級の際は、東京先進国首脳会議に圧力をかけるため、意図的に速度を落とし、6月28日から29日に対馬海峡(韓国と日本の間の海峡、世界で最も繁忙な水道のひとつ)を通過したんだ。 柴田 単純に前回の計算通りだと確かに12月上旬だが、ソ連太平洋艦隊の観点から考えると、「フルンゼ」号到着後、短い整備を経て必ず一度テスト航海を行うはずだ。したがって、結氷期の1ヶ月前にテスト航海を行うとすると、1週間のテストと、その前の2週間の整備を考えると、マラッカ通過は11月の第1週か第2週ごろになるはずだ。 A氏 現在のイラン・イラク戦争で、イランは爆撃されたハルク島への報復としてホルムズ海峡を封鎖すると宣言している。これではノヴォロシースク号のように、「フルンゼ」号にホルムズ海峡をパトロールさせるのではないか? 柴田 それはないだろう。ソ連太平洋艦隊は今、「フルンゼ」号の旗艦としての能力を必要としている。旗艦がなければ、空母も威力を発揮できないからだ。 B氏 旗艦能力といえば、現在太平洋艦隊にはカラ級の「ペトロパブロフスク号巡洋艦」が1隻あるだけだ。 今年3月にノヴォロシースクから太平洋へ向かった7隻の艦艇編隊は、オケアン-75(“Океан-75”)大演習の再現と言えるだろう。 この演習を通じて、太平洋艦隊は旗艦能力の不足を痛感しているはずだ。 A氏 そう推測すると、11月第1週にシンガポールを通過、第3週に沖縄と対馬海峡を通過することになる。 柴田 だいたいその通りだ、この計画で行こう。 B氏 撮影角度を検討するため、「フルンゼ」号の設計図を持ってきた。 西側諸国で最大の原子力巡洋艦はアメリカのバージニア級原子力巡洋艦で、その排水量はせいぜい1万ト程度だが、「フルンゼ」号は2万8千トンもある。 なぜこれほど巨大になったのか、主な理由はソ連に海外の遠洋基地がないからだ。そのため十分な補給を搭載する必要があり、対空・対艦・対潜兵器、各種戦闘システム、大型コンピュータ、空調設備などを装備するには大量の電力が必要になる。原子力を搭載するにも大容量のスペースが必要で、最終的にこれほど巨大な姿になったのだ。 撮影の要点は甲板前部のSS-N-19垂直発射装置だろう。また、艦尾のSS-N-9発射装置はキーロフ級にはない。 艦橋部分については、衛星通信用と電子戦用のアンテナが強化されている。 全体的な艦姿は、言ってみればコンテナ船に少し似ているかもしれない。 柴田 撮るのはなかなか大変そうだ。下手をするとコンテナ船に見えてしまうかもしれない……。できる限りのことをしよう。

1985年10月11日 第2回ブレインストーミング会議 東京原宿 柴田三雄事務所 10月7日に「フルンゼ」号がソコトラ島(イエメン)を通過したという情報を入手した後

A氏 現在「フルンゼ」号の位置は南イエメンのソコトラ島の港の中だ。 具体的に何日滞在するかはわからないが、ミンスク級空母の際はこの島からマラッカまで1ヶ月かかった。 B氏 だがあの時はアデンで8日間停泊した。 A氏 今回はそれを考慮しない場合、ソコトラ島で1週間休息と計算すると、10月13日出港で、11月5日から13日までにマラッカ岬に到達することになる。 柴田 11月3日〜4日、あるいは11月10日〜11日だろうな。 B氏 なぜ11月5日〜9日は考慮しないんだ? 柴田 ミンスク級当時の経験からすると、彼らは土曜日の深夜と日曜日の未明を利用するかもしれない。 マラッカ周辺国の沿岸警備力は、週末になると緩む傾向があるからだ。 A氏 よし、このスケジュールで行こう。 11月3日4日、そして10日11日はシンガポール側のヘリコプターを手配しておく必要がある。 沖縄那覇方面はつまり7〜8日後、長崎は10日後だな。 柴田 10月23日に私がシンガポールへ発ち、航空局と国防省の許可を取ってくる。ヘリコプターを確保できるといいんだが……。

1985年10月30日 第3回ブレインストーミング会議 東京原宿 柴田三雄事務所近くのカフェ

「フルンゼ」号がすでにインド洋中部に入ったことを確認。 柴田が11月2日にシンガポールへ飛び、東京とシンガポールの間にホットラインを開設したことを決定。

1985年11月3日 シンガポールと東京の間の電話会議記録

柴田 シンガポールは雷雨に見舞われ、空港が閉鎖された。13時半まで離陸許可が下りるのを待っていた。 南シナ海上空、積乱雲の隙間からソブレメニイ級ミサイル駆逐艦の影がかすかに見えたが、惜しいことに燃料が足りず帰還せざるを得なかった。運が悪すぎる。 東京 大丈夫、次は沖縄だ。沖縄がダメでも、その次は対馬海峡がある。ゼロからやり直そう。

1985年11月6日 「フルンゼ」号、ベトナムのカムラン湾基地に入港

1985年11月16日 「フルンゼ」号がフィリピン西部海上に突然姿を現す。 夜、米軍が報道機関向けのP-3Cを関連海域へ派遣すると発表。 柴田はすぐに参加を申請。

1985年11月17日 朝6時、厚木基地から離陸した米軍P-3Cに搭乗し、バシー海峡へ向かう。 しかし寒気に遭遇し、視界が極端に悪かった。ソ連艦隊は見えたが、撮影することはできなかった。 夜、厚木基地へ飛び返す。 飛行時間は合計10時間35分。

1985年11月18日 全日空81便で沖縄へ飛ぶ。

12時30分の東京と沖縄の間の電話会議記録 東京 西表島の南南西25キロの海上。速力8-9ノット。 柴田 針路は? 沖縄と宮古の間か? 東京 まだわからない。

15時15分の東京と沖縄の間の電話会議記録 東京 「フルンゼ」号とソブレメニイ級が分離して南下中。速力25ノット。 柴田 演習を始めたな。いつのことだ? 東京 情報源が錯綜していて断定できない。とにかく25ノットで南下中だ。 柴田 対潜演習だろうな。背後には米軍の潜水艦が必ずずっと尾行しているはずだ。

19時30分の東京と沖縄の間の電話会議記録 東京 夕方、西表島の西20キロの地点に集合した。与那国島と西表島の間を通過するようだ。 柴田 ソ連軍艦がこのルートを通ったことはないぞ(ずっと沖縄と宮古の間を通ってきた)。 彼らは対潜演習を通じてバシー海峡の通過を日常化したいのだろうし、それに距離もかなり節約できる。 この演習は日本側の反応をテストするものでもある。 東京 その通りだろう。このルートだと、明日の朝は屋久島の西320キロの海上に出る。急ぐ必要がある。 柴田 こっちは嘉手納基地で大規模な演習中で、那覇空港の離着陸が制限されている。戦時状態だ。 東京 飛べるか? 柴田 何としてでも飛ばなきゃならない。

今回の「フルンゼ」号の航路は下図で太線で示されており、2番と記されている。前回のミンスク級のルートは1番の細線である。 そして、中国海軍を撮影した地点は地図で×印で示されており、「中国海軍あらわる」の場所である。

<a href=<a href="/blog/ja/2015/01/shibata-mitsuo2.html<a href=>““フルンゼ"号撮影記録 後編

2018/10/04 更新 近年中国の南シナ海海域で本稿のような海軍の迎撃事件が発生したが、迎撃された相手がソ連からアメリカになった。 新浪網:米軍、我が艦が米艦を追い払う写真を発表 高速で割り込み船首を返らせる(写真) 明報: 米軍、中米両艦の南シナ海での激突寸前の写真を発表

米海軍のディケーター駆逐艦が9月30日に南沙諸島の中国の領海に入った後、中国人民解放軍海軍の「蘭州」ミサイル駆逐艦がこれを確認し警告して追い払った。海事ニュースサイトのgCaptainは火曜日、米海軍が提供した複数の写真を発表した。それによると、蘭州とディケーターは対峙する姿勢をとり、両軍艦は非常に接近し、米艦は回避するために針路を変えるほかなかった。 gCaptainが掲載した写真によると、中国海軍の蘭州と米軍のディケーターは艦首が艦尾にほぼ接する状態だった。米海軍は以前、当時両艦の距離は最短で41メートルに迫ったとしていた。衝突を避けるため、ディケーターは針路を変えるしかなかった。写真には、ディケーターが針路を変えた際、海面上に白い線を描いているのが見える。
gCaptainの記事と写真はここにある: Photos Show Confrontation Between USS Decatur and a Chinese Navy Warship in South China Sea